(出典:avex management)
カズ坊こと菊池一仁。世間ではあまり認知されていないかもしれないが、作曲家、音楽プロデューサーとして活動している知る人ぞ知る天才。
元BREATH(ブレス)のメンバーといえば少しは認知の幅が広がるだろうか。
今回はこのカズ坊に焦点を当てて記事を書いていこうと思う。
目次
音楽一家、菊池家
家族の影響というのはとても大きい。
漫画、アニメ、ドラマなんかでも、何かを始める時家族の影響を受けて始める描写を多く目にする。
現実世界だってそうだ。
兄の影響で、母の影響で、といった言葉をよく耳にする。
そんな家族の影響もあってか、音楽一家と呼ばれた家族がいる。それが菊池一家。
カズ坊を除く3名を軽く紹介する。
・菊池章子(きくちあきこ)
カズ坊の祖母にあたる人物で、本名は菊池郁子。
1951年に開催された第1回紅白歌合戦を始め、計6回も紅白の舞台で視聴者を魅了した大物歌手。
日本レコード大賞をはじめ、様々な賞を総なめにした。
・多摩幸子(たまゆきこ)
菊池章子の妹でカズ坊の大叔母(親のおば)にあたる人物。
多くの歌番組や映画出演の経歴をもつ歌手で、現在は社団法人日本歌手協会に所属している。
・KIKU
Misty Eyesというバンドでおよそ5年ギタリストとして活躍後、自身が中心となりcaminoを結成。
camino結成からおよそ6年でメジャーデビューも果たし、その3年後に開催したワンマンライブをもって活動を休止した。
趣味程度ではなく、プロとしての活動経歴がある人物がこれ程揃う家族は珍しい。偶然でこうはならない。
本人達の才能や努力もあるだろうが、やはり環境というのは大切なのだろう。
アーティスト、BREATH
路上ライブで弾き語りをしていた金築卓也をカズ坊が誘い結成されたBREATH。
「曲が良ければ売れる」
音楽業界ではこの定石は通用しないんだなと痛感させられたアーティスト。
BREATHを最初に知ったのは確か深夜の音楽番組だったと思う。
今ではYouTubeやSNSで容易にアーティスト情報を取得できるが、昔はマイナーなアーティスト情報を取得できるツールがとにかく少なかった。
ちなみに私は深夜の音楽番組とラジオの二本柱で情報を得ていた。
そして気に入った曲やアーティストを発見すると、TSUTAYAでCDをレンタルしMDに入れる。このルーティーンが当時は完成されていた。
BREATHの存在を知ってからもすぐにTSUTAYAに足を運んだ。リリースされている曲はおそらく全部聴いた。
楽曲がとにかく良い。
BREATHが飛躍しなかった要因に楽曲はまず入らなだろう。
その後私は、BREATHの曲を作っていたカズ坊の音楽プロデューサーとしての顔を知ることになる。
音楽プロデューサー、菊池一仁
カズ坊の音楽プロデューサーとしての顔を知ったのは、2003年にリリースされたアルバム収録曲のBridgeを聴いたのがきっかけ。
どう聴いてもELTのfragile。
パクリとかそんな次元じゃない、一緒。歌詞が違うだけ。
fragileをカバーしたのかな?と思い調べてみると、ELTにfragileを提供したのがそもそもカズ坊だと知る。
これは当時衝撃だった。PUFFYの愛のしるしがスピッツの曲だと知った時と同じくらいの衝撃だった。やわなハートが痺れた。
fragileにとどまらず、キオク、UNSPEAKABLE、nostalgiaなど多くのELTのヒット曲がカズ坊により生み出されていた。
それだけじゃない。
浜崎あゆみ、TRF、V6、倖田來未など多くの大御所アーティストの曲がカズ坊により生み出されていた。それもかなりの曲数。
この人、天才だ。
誰が歌ってるのではなく、誰が作ったという目線で曲を探して聴いた最初の人物。それがカズ坊。
いや本当、この方の作曲センスには恐れ入りました。