(出典:FASHION PRESS)
POP SONGを最初に聴いた時、フェルミ研究所のOP(魚が歩いてるBGM)を思い出した。なんか似てるなって。改めて聴きなおしにいったら全然違うかったけど。
最初に聴いた時はそれくらいしか感想がでない程え?今何を聴かされた?って感覚だった。メロディーも複雑だし、結局サビはどこだった?と色々迷子になった。
曲名は確かにPOP SONG。間違いなく米津玄師のPOP SONGだった。
目次
POP SONGとは?
音楽で使われてるPOPの意味ってかなり幅広いから、いざ説明するとなるとかなり難しい言葉ではあると思う。
でも何となくはみんなあると思うんですよ。POPに対するイメージみたいなものって。
一般的にはポップス、つまりは"大衆向け"になると思うんだけど、私自身のイメージもそんな感じで、分かりやすいサビがあってそれの繰り返しがある王道アニメのOPみたいなイメージだったんですよね。
(出典:米津玄師 - POP SONG)
いや、全然POPじゃねぇ!!!
難しい。複雑。スッと入ってこない。覚えられない、歌えない・・・って感じの印象が聴いてみた正直な意見で、少なくとも一般的なPOPの曲とは違うなって。
確かにこの曲は多くの人に聴かれ、愛される曲なのはもうそうなんでしょう。
でも"大衆向け"ってそういうことじゃない・・・ですよね???
これ、合ってますよね???
念のため言っとくと別に曲やタイトルを否定してるわけじゃないですからね。
POPって言葉自体は別に音楽だけで使われるわけじゃないし、このPOPにどんな意味が込められてるなんてのは考察不能だと思うんだけど、少なくとも"大衆向け"とか"流行りの"とか一般的に使われてる意味ではないんじゃないかと思う。
SONYとのタイアップ
一般的に協力や提携を意味するタイアップだけど、当然タイアップする企業イメージを損なわないように、かつ企業イメージを向上させるように全集中すると思うんですよ。
ましてやそのタイアップ先が誰もが知る大企業SONY。
歌詞を見た時控えめに言って震えたね。
"ちゃらけた愛"で始まり"全部くだらねえ"で締められた歌詞。
とても天下の大企業SONYのタイアップとは思えない歌詞の数々。
まるで「お前はどうしたい?返事はいらない」のようなスタンス。完全に米津玄師の独壇場。
どう考えてもSONY側のああしてくださいこうしてくださいの意見をくみとって作られた歌詞とは思えない。天才米津玄師に全て委ねてる。
曲名もPS(PlayStation)を意識したんだろうし、"123で愛を込めて"はPS1の発売日(12月3日)を意識したんだろうけど、そんな企業へのリスペクトが霞んでしまうくらい衝撃を受けた歌詞だった。
でももうね、多分それで正解。
無理してタイアップに合わせもwinwinになれたとは今となっては思えない。
まぁそれもこの両者だから成立してることだとは思う。いい意味で両者とも普通じゃない。
考察は諦めました
今まで米津玄師のMVはいくつか考察してきたんだけど、今回は辞めました。
MVを最初に見終えた段階でそう思うには十分すぎた。
規模が大きいとかそういう次元じゃなくて、上記で書いた内容含め一般的な概念が色々壊れてる。
もう主人公米津玄師が悪役風なスタイルで登場した時点で考察は諦めてたと思う。
まるで退屈だったからという理由で下界に降りたった死神のようなスタイル。
SONYとのタイアップでこの発想が出てる段階でもうついていけない。
自転車がどうだとかコントローラーはああだとかはもう考えられなくなった。
1から10まで一般的な思考から外れた曲。
これからも存分に"君だけの歌を歌ってくれ"。我々はそれについて行くだけです。
ではまた、メロリアンのナークでした。