(出典:ALPEN GROUP MAGAZINE)
月日が経つの本当に早い。年齢を重ねる度に一年の体感速度は増す一方だ。
過去にもぼくのりりっくのぼうよみの記事を書いたことがあるんだけど、最後に書いたのはもう二年以上も前のことなのか。
そういえばこんなの書いてたな。懐かしい。
こんな長い名前からまさかたなかになるとは。聞き馴染みがありすぎる。別のたなかも脳内に溢れてくる。
ちなみにこれはぼくりりから改名したとかじゃないです。もうぼくりりはこの世からお亡くなりになってます。
目次
若い与沢翼
(出典:エンタメQUEEN)
もうそうにしか見えない。与沢翼の若い頃の写真より本人。
わずか二ヶ月という短い期間で男の理想のボディに肉体改造したあたりから本当に若い与沢翼にしか見えなくなってしまった。
見た目が似てることに関してはこれ以上何の説明もいらないと思うんだけど、その他に関しても類似してる部分があると思うんですよ。
まずは若くして成功した天才であること。
そして、そんな天才であることやカリスマであることに対する周囲の目に疲れてしまったこと。
与沢翼といえば秒速1億円というインパクトのあるキャッチフレーズを掲げ、高そうなスーツに身を包んだカリスマ的なイメージが強いと思うんだけど、実際はかなり無理してたみたいですね。特に資金的に苦しかった時期とかは。
今にして思えば、あれが素の姿と捉えるのは少し無理がある気がするし、完全にブランディングでしたよね。与沢翼はこうでなくてはいけない!みたいな。
ぼくりりを引退してたなかになった理由もこれに近い感じがあった。
周囲の人の天才というイメージに支配されたくなく、ぼくりりはこうでなくてはいけないというのが面白くない。自由になりたい。みたいなのが引退理由だったと記憶している。
「自分の才能に押し潰されていました」という引退前の言葉は割と衝撃だった。才能があるがゆえに色々抱えてたんだなって。
たなかにした理由とその後の活動
ぼくりり引退後、かなりのスピードで戻ってきたたなか。ニート宣言してたのにその二ヶ月後にはもう世に出てきた。
このたなかという名前にした理由としては、多い苗字のたなかを名乗ることで、何者でもないということを主張したいらしいんだけど、割と適当だったらしい。
まぁ本人もここまでたなかをフューチャーされるとは思ってなかったんだろう。
たなかとしての活動内容も本当自由に好きなことをやってるイメージ。
YouTubeチャンネルを開設して虫を食べたり一日ホストやったり。俳優の仕事やCMの仕事をしてみたり。枠にハマらないマルチな活動を行なっている。
有名な活動はボルダリングかな。活動といってもこれは趣味でだけど。
私も過去一度だけ経験あるけど次の日ボールペンがもてなくなるくらい指が酷使されました。プラス全身バッキバキ。あれは相当体力使います。
一度名前が売れると強い
近年これは本当に思う。
今の世の中知名度は最強の武器になる。
これだけ多くの案件が舞い込んだり活動が注目されてるのは間違いなく前職ぼくりりという名の知名度があるからに尽きる。
知名度があるというのは何をするにしても本当に強い。もちろんいい意味での知名度だけど。
動画を2本しか投稿してないのに登録者数100万人を突破した本田翼に多くのYouTuberは嫉妬したことだろう。
そういった意味では、戻ってくるの早すぎじゃない?って思った人もきっと多いはずなのだ。
ちょっと思いましたよね?引退理由を考えると。本人にその気はなくとも活動内容をみると結果的に前職ぼくりりの知名度をフル活用してるなら少し矛盾してるんじゃないかって。
本当に自由になりたくて、ぼくりりの影を無くそうと考えてるなら世に出てくるのは早すぎる。名前を何にしようと中の人は変わらないのだから。ほとんどの人はたなかとしてではなくまだぼくりりとして見ている期間なので天才の印象は残ったまま。
でもやり方としては正解ですよね。
でないと一日体験入店のホストで売上ナンバーワンに輝くこともなかったでしょう。
個人的には色々活動した後で、なんだかんだ音楽の世界に戻ってくるんじゃないかと思っている。
もちろんそれはぼくりりとしてではないけど。
ではまた、ライターのナークでした。